復活への徘徊

復活へぼちぼちやっていきます

ブログのタイトルとか、最近読んだ本とか

このブログのタイトルは「復活への徘徊」となっています。

ここで意味している「復活」は、一般社会への復活で、健康で、

なんとか自分で稼いで生きていけるようになる、という事です。

 

一方、「徘徊」は元々私はかなりふらふらした人間なので、「復活」に

一本道で行けるはずはないだろうと思っています。(心療内科通院中だし...)

ゆとり世代」とよく言われますが、多分私はゆとり教育を受けなくても

ふらふらした人間だったろうと思います。

そういう人間はいつの時代も一定数いるはずです。

 

そもそも私は真剣にやるとか一生懸命にやるということがよく分からないのです。

ゆとり世代」でも真剣さとか一生懸命さとかはあると思います。

対象はゲームであってもアニメであってもアイドルの追っかけであってもなんでもいいと思います。

そういう人はあまり職業選択で悩むことはないのではないかと思います。

今の時代に夢を追うことは悪いことではないと思います。

完全に自己責任になりますが。

 

一方で私のようなふらふら人間は何をしていいか分からないのです。

何をやりたいかよりも、何ができるのか、何ができないのかを考えざるを

得ないのです。すこしつまらないですが仕方ないです。

 

そういった関連で最近読んだ本をご紹介したいと思います。

(しかし誰がこんなブログを読むんだろう、私は頭を整理するために

書いているのでたまたま誰かの役に立てば幸いです。)

 

 

1.「ニートの歩き方」pha著

著者のphaさんはニートだそうです。

私も失業中なので、ニートです。

まだ働いていたときに「こんなんじゃ俺は絶対社会で通用せんわ、

ニートフリーターになるかも」と思い購入。

働いているうちは読んでる余裕などなく最近になって読みました。

phaさんは京大を卒業後、就職したもののいままでどうしても学校や会社に

なじめず会社が嫌で嫌で仕方なかったとのこと。

しかし、インターネットに出会い、ネットを使えば会社勤めをしなくても

生きていけるんじゃないかと思い退職。

以来、シェアハウスの運営、アフィリエイト、プログラミング、せどり

で生活してきたらしいです。

ここで気をつけなければならないのはphaさんは結局自分で稼いでいると

うことです。

と、いうよりも最近は本も書いているしTVにも出たらしいので全然ニート

じゃないです。行動力と頭の良さで特殊な働き方を実現しています。

ニートのボス的存在であるため、ニートに対しては甘い内容です。

本の後半の社会に対する見方は頷けますし、著者の理想通りの社会が

実現すれば息苦しくないだろうと思いますが、それは難しいだろうなと思います。

私ももっと人間の生き方は多様であってもいいし、ニートで一生生きていける人

それでも良いとは思いますが、ニートとして生きていく事が自分にとっていかに

困難か分かった一冊でした。

自分はひょっとしたらニートになるかもなーと思っている大学生ぐらいの

人にお勧めです。そういう人は逆説的にニートにならないのではないかと思います。むしろ自分は当たり前に卒業して当たり前に就職するのだと思っている人(昔の私)

の方が危ない気がします。テキトーな考えですが。

本書と少し関係することですが高校、大学卒業→就職しかほとんど道が無く

またそれを選択しても茨の道で、それ以外の生き方を選択するのはもっと

茨の道になる世の中はそれほど豊かではないと思います。

 

2.「独立国家の作り方」坂口恭平

著者の坂口さんは一言でいえば芸術家です。社会活動家でもあります。

プロフィールでは建築家、作家、絵描き、踊り手、歌い手、新政府の内閣総理大臣

となっています。才能と行動力の塊のような人です。そして、同時に躁鬱病という

精神の病を抱えています(著者いわくこれは病気ではないらしいです。)

ホームレスの生き方から0円で生きていける方法学び、社会の矛盾を感じ続けていた

人です。著者の意見には賛成できるところもあるのですが、私の読解力が足りない

のか、理解不能な部分があります。語り口でなんとなく岡本太郎を思い出しました。

「独立国家の作り方」とありますが、国家の作り方が提示されている訳では

ありません。

結局は物事をごまかさず、自分で感じて、自分で考えて、自分で行動を起こせと喚起している本です。ハイリスクな生き方を選択する、バイタリティのある人にとっては参考になるかもしれません。

 

3.「大人になることのむずかしさ」河合隼雄

私が、自分はもう子供とは言い難いが大人ともいえないな、と感じて購入した

本です。そもそも大人とはなんだろうと思っていました。

本書によれば、現代においてはこれぞ大人といったようなモデルは存在

しない、儀式なき時代においては個人の葛藤においてしか成長しない

というような事が書かれていました。

 

大人とは既存の大人のモデルに従うのではなく、自らが進んで世界観を構築しなければならず、かつ物事を安易に善悪や優劣の判断をしてはならず、そうはいっても現実では判断が要求され、決定については自分で責任を負わなければならないと書かれていました。大変なことです。すなわち大人とは静的なものではなくもっと動的なものであると。不断の努力が要求されます。世界観の修正もその都度行っていかなければいけません。大変です。

 

私はこの説を信じようと思います。実感としてピッタリくるからです。

今までの短い人生で大人と言えば親、学校の先生、職場の上司といましたがこの人は大人だなぁと感じた人は残念ですがあまりいません。(母数が少ないのも原因です)

それは分かりやすいモデルがそもそも無かったからだと思います。

いたのに見つけられなかった人もいるでしょう。

また上記のような自ら大人になろうとする人は大変です、わざわざそんなことををしているより、たいした理由もなく「~は良い」、「~は駄目だ」とする方が楽です。

これは子供の所業ですが。子供の方がよっぽど楽ですね。

逆説的ですが「俺は大人だ!」という感じの人の方が子供っぽいのはそういう理由でしょうか。

大人である事はマイノリティなのだと思います。わざわざハードで目に見える見返りのない道を選ぶ人は少ないでしょう。ですがある意味では耐性が強い人間になるという事もできます。

私に関して言えば完全に子供でいるのはもう無理です。「○○は××だ!」と騒ぎ立てるのは疲れるし、気持ち悪いです。

上記のような大人になるのは大変です。

焦らずぼちぼちやっていこうかなぁと思います。

無理だと思ったら止まるだろうなぁつらいなぁ。